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近年、薬事法違反などでアガリクス、プロポリスをはじめとする健康食品販売業者らが摘発される例が増えてきた。それは何故なのか。また、何故そうなるのか。
社会学者、野村氏は、メディア上に展開された健康言説空間の構造について知識社会学的に分析し、論文「メディア仕掛けの民間医療」を発表。民間医療の代表としてプロポリスを取り上げ、正規医療との関係、消費者との関係においてメディアに「プロポリス言説圏」が出来上がると主張。プロポリスが日本において消費者の間に広まってゆく過程、その間にメディア上に展開されたさまざまな言説などを客観的(批判的な)な視点から知ることができる。以下は目次と抜粋。
目次 :
1 メディア仕掛けの健康言説
2 健康食品の二重に自由な言説圏
3 プロポリスをめぐる〈解釈の社会集団〉
4 プロポリス言説圏の社会的構築過程
5 制度的立場からの逆襲
6 信頼と不信の重層構造
『プロポリスは数ある健康食品の中でもかなり医療的世界に近いところで語られているものである。プロポリスはローヤルゼリーなどミツバチ生産物のひとつで、日本では蜂やにと呼ばれていたもので、それをアルコールなどで抽出して飲用したり塗布したりする。ルーマニアなど主に東欧の民間療法でよく使われている。しかもプロポリスはごく最近再発見された新しい健康食品であり、しかも「ガンに効く」という学会報告がつけられたものでもある。健康食品業界では「切れがいい」と言われる。それだけに問題を指摘する人たちもでているが、最近はアピセラピー(apitherapy)※として位置づけられつつあるようだ。』
『規制は自由と合わせ鏡になっている。あることを禁止することは、禁止されたもの以外に許可を与えていることになる。広告の厳しい規制は、プロポリスの場合、逆説的な自由をもたらしていると言えそうだ。それは二重の自由である。第一に「プロポリスは医薬品でなく食品である」という自由。医薬品として語ることはできないが、食品として語る分には相当な自由が確保できる。第二に、研究・書籍・報道のように、それがプロポリスそのものの広告でないかぎり、どんな言説も規制されないという自由である。この二重の自由こそが膨大なプロポリス言説圏を構築可能にさせている。』
『ひとたびプロポリス言説圏に入った人がどのような言説に遭遇することになるのか。』
『第一に、それは徹底した自己中心性の言説である。他の民間医療や健康食品については言及しない。と同時に他の健康食品を批判する言説もまたほとんどない。禁欲的なまでの自己完結性と言っていいかもしれない。』
『第二に、それは実証への強い意志に満ちた言説である。プロポリスの場合、癒しという曖昧なものではなく、基本的には自然科学的実証性がめざされている。しかし、じっさいには業者が実証する手だてをもたないために、結局、体験の重みに依存せざるを得ない現実がある。もっぱら「自分でじっさいに試してみろ」という原始的な説明モデルである。それゆえに、一方では難問としての「ガンの治癒」を謳うとともに、他方で「何でも効く」と万能な薬効を謳うことが可能なのである。この説明モデルの問題点は、俗流化された科学的実証性の観念に寄生しながら、真正の科学的実証性でないことにあるのではなく、むしろ、いくらでも「あとづけの解釈」が構築できる点にある。プロポリス解説書には夥しい数の体験談が掲載されているが、「思えば、あれがそうだったのか」といった「あとづけの解釈」がなされるパターンが多い。じつはこの「あとづけの解釈」そのものがクライアントの「納得」を支えている。』
『第三に、環境的言説とのリンクが過剰になされている、開放的な言説である。天然の物質であることが終始繰り返され、民間薬(薬・薬効)としての歴史性と伝統が強調される。フィトンチッドによる森林効果的癒しのあることも付随的に指摘される。自然治癒力を軸にした代替医療との親和性ある説明もおこなわれる。近代医療批判も厳しい。』
『民間医療の多くのクライアントは宙ぶらりん状態におかれているのが実態なのである。その過程において一時的に信頼を担保するのがメディア言説である。つまり、正規医療の場合は専門家言説によって最初から容易に信頼を確保できるのに対して、民間医療はそれができない。メディア上に無数の解説と体験談を用意して、模範となるべき経過モデルを提示し続けなければ、クライアントの信頼を維持することがむずかしい。いきおい言説は過剰になる。』
『正規医療と民間医療――「メディア仕掛け」である点では、両者とも似たようなものである。しかし、正規医療においては公衆衛生やヘルス・プロモーションの名のもとに「メディア仕掛け」であることが正当化されているのに対し(税金も大量に投入される)、民間医療の「メディア仕掛け」の方は、「いかにもいかがわしいこと」に位置づけられてしまっている。しかし、私たちが見なければならないのは、いずれの領域であれ、健康言説はメディア媒介的に自己成就する仕掛けになっているということであって、その意味では「メディア仕掛けの民間医療」のいかがわしさは、「メディア仕掛けの正規医療」のいかがわしさでもあるのだ。』
「メディア仕掛けの民間医療」 http://www.socius.jp/life/healing.html
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