「医療逼迫」についての考察
2021年が明けて一週間。今年も新型コロナで大変な年になりそうです。
日本は「医療崩壊」するのか?
さて、日本では新型コロナの新規感染者が増えるに従って、ニュースでは「医療逼迫」や「医療崩壊」が悲痛な声とともに叫ばれるようになってきました。
しかし、感染者数や死亡者数では数十倍も多く、新型コロナによる被害が遥かに深刻なはずの欧米やブラジルでは「医療逼迫」の問題はあるにしても、「医療崩壊」には至っておりません。
素朴な疑問として、これは何故なのかを考えてみたいと思います。
医療体制についての国際比較
まず、総病床数の国際比較を見ると、人口千人当たりで、米2.8、英2.6、独8.1、仏6.1、スウェーデン2.4、日本13.2となっています。つまり、日本は米国に比べて人口当たり4.7倍の病床があるということになります。
次に、臨床看護師の数を比較すると、人口千人当たり、米11.3、英7.9、独13.3、仏9.9、スウェーデン11.1、日本11.0です。欧米諸国と日本は同程度といえます。
単純にこれらの数字だけを見ると、日本の医療体制は欧米と比較して、看護では同等、病床数ではずば抜けて恵まれていると言えます。普通に考えて日本で「医療逼迫」や「医療崩壊」が起こることは考えられません。
新型コロナ患者を受け入れない病院
であるならば、そこには欧米とは別のファクターが存在します。
多くの方が指摘していることですが、日本では公立病院よりも民間病院の割合が高く、その民間病院の多くはは新型コロナ患者の受け入れに消極的である、もっとハッキリ言えば拒んでいるというような話です。
これにはコロナ患者を受け入れてもコスト的に割に合わないということの他に、日本的なケガレを恐れる感覚や病院の評判に傷が付くからといった理由もあるようです。
だから、単に数字上は病床数に余裕があるように見えても、実際に使える病床数はかなり限られてしまいます。
このことは僕の住むブラジルと比べると違いがハッキリします。
こちらでは公立病院と民間病院の割合は半々といったところ。そして、公立病院だけでなくほとんどの民間病院も(市からの支援や保障なども当然あるでしょうが)積極的にコロナ患者を受け入れています。そして、それでも病床が不足する場合は、サッカー場や体育館などに仮設の病床を増設することで対応しています。
もちろんブラジルは患者数が桁違いに多いので、そうしないととても間に合わないのですが、地元に積極的に貢献して行こうという医療関係者の強い想いが感じられます。
病床の回転の悪さにより病床が逼迫する
そしてもうひとつの原因があります。
下記はある医療関係者の方のブログなんですが、これは非常に重い内容かと。
https://blog.goo.ne.jp/e3693/e/3aebd50977dfdbd6b9d310d7ffa68ba1
彼女の勤務する病院の重症患者用病床は6床。コロナ患者でなければ、通常1か月60人以上の患者さんを受け入れることができます。ところがコロナ患者では、1か月3~6人の患者さんしか受け入れることができないとのこと。
つまり、病床の回転の悪さが医療逼迫を招いているというのです。
その最大の原因は、日本に於いては患者がどのような重篤な状態(回復困難)であろうとも、生きている限り最善の治療や看護が施されること。そのために病床が回転しないのです。
更に、著者はアメリカの例を挙げ下記のように記述しています。
アメリカでは、挿管後、回復困難と予測される状態になった時は、人工呼吸器や病床をより回復する可能性がある患者さんに使用できるように、人工呼吸器のスイッチをオフにすることは日常的になっていったと言われています。
これはブラジルに住む僕の感覚とも一致します。
そもそも、そうでなければ、毎日毎日これほど多くの死亡者が出るはずがありませんし、もっと言えば、コロナに限らず他の病気でも回復困難な患者に対するトリアージはわりと日常的に行われているのです。
人命尊重かトリアージか?
このことは、戦後日本人の人生観とも深く関わってきます。
それは「一人の生命は地球より重い」という言葉にも象徴されている。
日本人は命の大切さを表現する時、当たり前のようにこの言葉を使いますが、よくよく考えてみれば矛盾した言葉です。一人の命が地球(つまりその他大勢の命)より重要視されるなんてことはありえないし、また、道徳的にも本来あってはならないのです。
このような考え方の結果として、コロナに限らず大勢の回復困難な患者が、本人や家族の希望とは関係なく延々と生かされています。一見良いことのようですが、これにより莫大な医療リソースが消費され、国の財政を圧迫する一因にもなっています。そして、もし将来的に国が財政破綻することになれば、多数の自殺者が出ることは避けられません。
もちろん、ある程度回復が期待できる患者であれば、最大限に手厚く医療や看護を施すべきでしょうが、そうでないのなら、ただ生かし続けることにどれほどの意味があるのか。これは尊厳死の問題とも深く関わってきます。
医療が逼迫した状況では、トリアージによって救われる命もあるのです。
今回の新型コロナ感染爆発をきっかけにして、日本においてそういった議論がなされることを期待したいと思います。